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[小学校入学当時の私と、そこから得られる教訓]
やはり、担任の先生との、ノリソリというか、あたりはずれって、あるもんですよね。
本当に小学校へ入りたての、1年生のころは、男性の先生でしたが、とにかく愛称が合いました。
なにやら、学校へ行くのが楽しいという感じだったと思います。
でも、2年生になって、様子が一変しました。
クラスの子供たちにはいじめられるわ、担任の先生は、大嫌いな給食のおかずを、吐いても食べろと
言うわ、とても生きた心地がしませんでした。
何しろ、今のお子様たちにしても、嫌なことがあったとき、担任の先生が助けてくれなかったり、私
のようにひどい場合には、敵だとしか思えなかったりすると、あんなにつらいものはないはずです。
自分がそんなめにあったので、嫌というほど理解できます。
私が小学校2年生のときは、毎日のように、帰り道で思ったものでした。「あーあ、また、明日、いじ
められて、しかも、なんにも悪いことをしていないのに、先生に怒られに、登校しなくてはならないんだ!」と。
もちろん、33歳になった今でもはっきりと覚えているということは、先生のほうは、とんでもない不始
末をしでかしたことにしかなりません。
今は、半分あきれて半分感心しています。よくぞ、あんな状態で登校拒否にならなかったものだ、と。
あとで、東北大学へ入学して、先生になる気など全くないのに、教職科目(教え方の授業)を受けて知り
ました。
現在は、そんな、好き嫌いとか何とか、しつけに該当するようなことは先生がすることでは全くなくて、
ご両親がするのが当然、ということになったのです。
たとえ小学校低学年の先生といえど、やってもいいのは、国語や算数などの、「勉強」を教えるだけ、と
いう解釈になりました。
実は、ひとつも新しい考え方ではありませんし、落ち着いて考えてみれば当然のことなんですね。
教育というものは、生んだ親がするのが当然であって、赤の他人の、学校の教員がすることではありません。
福沢諭吉さんも、明治時代にもうすでに、「家庭での教育の重要性」ということを指摘しておられます。
そうでなくても、ずいぶん昔から、欧米諸国では、教育は先生がするものだ、という発想は、なかったのです。
先生に教育をしろというのは、怠け者で、無責任な人が言うこと、というのが、常識だったのです。
なぜか、日本人は、ほんの少しの税金を払っているくらいで、人任せ、公務員任せにするのがやたらに好きな
国です。
視力や歯科検診にしても、学校でできることは、設備の問題から限られているのが、学校の目的から言って当
然なのに、「学校で言われなかったのに、こんなに病気がひどくなった」なんてトラブルがある、と新聞記事に出
ていました。
教訓:日本人の常識は、ほかの先進国から見て非常識なことが多いです。
でも、そうはいっても、お子様があまり嫌がるものを押し付けても、反感をもたれるだけのことですよ!
教育の笑い話にこんなものがあります。「無理やり水泳を教えようとして、プールの中へ沈めたら、何のこ
とはない、次の日に風で寝込んだだけだった!」というものです。私個人としては、この笑い話は、幼いころ
の教育の本質を突いていると思います。
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