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[いつの時代も、必要不可欠である「読書」]
今はインターネットの社会であるとはいえ、「読書はするべきだ」というのは、ほとんどの大人が言う
ことです。
・・・でも、仕事で忙しいのはわかるんだけど、どの大人がそんなにたくさんの、人に進められるほど
の本を読んでいるというの?
――これは、私が中学のころの、「素朴で、まじめな疑問」でした。
私が好んで読んだ本は、今はもう古い(怒られるかな?)のですが、竹村健一さんと、私の大学の大先輩
になるとは思ってもみなかった、鈴木健二元NHKアナウンサーです。
どちらも、さしてお偉いさんというほどではありません。
竹村さんは、今はそうでもないですが、全盛期には、「要するに、何でも書けばいいと思ってんじゃない
の?」といいたくなるような、少しなれれば誰でも先が読めそうなものばかり書いていました。
何を、こんな、誰でもわかることばかり書いた本をずらずらと出版するの?出版できるの?といった感じ
でした。
・・・でも、なぜか、思春期のころの私は、竹村さんの本を、馬鹿らしいとか何とか思いながら、ものす
ごい数を読破しました。彼には、天性の、人気をひきつける「何か」があるのかもしれませんね。
本というのは、やはり、オリジナルな(別に竹村さんがまねをしているという意味ではありません)、ほ
かの人には想像すらつかない内容で無ければいけないと思います。
だって、読まないうちから先の内容がわかってしまうようなものを、誰が読む必要があるのですか?先か
らそのことに関して知っているわけですよね?
鈴木健二さんの場合は、常識的なことばかり、わざと書く人です。「そりゃ、そうすればいいけど、でも、
それって、当たり前でしょ」というのが全体的な彼の本の感想です。わざとそうしているのかもしれないです
が。常識の大切さを強調するために。
鈴木さんの、どの本だったかは忘れましたが「高下駄を鳴らして歩いている人は、何かやってくれそうな
気がする。今の人たちは、そうはとても思えない」と書いてあった、その内容には、いくら大学の大先輩で
も、私は反対です。
要するに、「自分の時代はよかった」といいたいのです。でも、そんなことはありません。
時代というものは移り変わるものであり、どの時代にも、いいことも悪いこともあるのです。このことに
は、私は絶対の自身があります。
今思うと、もう少したくさん読んでおけばよかったな、というのは、京都大学数学科の、現名誉教授の森
毅さんの本です。
彼の本には、今はもう大学に存在しなくなりましたが、大学の、いい意味での自由さが、あふれんばかり
に描かれています。
私の場合は、書籍に関しては、要するに、乱読したということです。
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